クラブで出会ったフィリピン人の友達(以下ジェイ)に「ニューイヤーの文化を体験してみないか」と誘われ、即答でOKを出した。
連綿と受け継がれてきた「生の文化」の深淵を覗ける機会など、そうそう転がっているものではない。
その土地で脈々と培われ、そして根付いた生の文化を体験できる機会はそうそうないだろうと思ったからだ。

“喧しくあれ! ”それこそがフィリピン流
バコロドからトライシクルで20分ほどの距離にある村に着くと、もう既に濃い硝煙と火薬の匂いが漂っており、そこかしこでテーブルを囲みながら談笑しているのが見えたが、その声は爆竹の破裂音、正体不明のラッパ、さらにはオートバイの咆哮によって無慈悲にかき消されている。静寂を好む日本の正月とは正反対の、この世の終わりかと思わんばかりの狂騒。これぞ文化の醍醐味。
「何故爆竹を鳴らしたり、ラッパを吹いたりするの?」
そうジェイに訪ねると、
「悪い気(Bad spirits)や悪霊を払うためにやってるんだよ」
聞けば、この習慣は中国の迷信がフィリピンに伝わりそのまま根付いたものだそう。音を出して悪い気や悪霊を払い幸運を呼び込むという面白い迷信で、クリスマスを過ぎたあたりから徐々に景気良く鳴らし始め、新年を迎える瞬間にその狂乱は頂点に達する。爆竹にも様々な形状があり、三角形の小粒なものから筒状のものまで多種多様であるが、とりわけ「弾薬ベルト」の如き威容を誇る代物は、私の鼓膜に深刻なダメージを、そして魂に戦慄を与えた。
小学生のころに癇癪玉が流行っていたからか、なんとなく郷愁を感じた。
しかしながら、この愛すべき爆裂文化も「危険である」という至極真っ当な理由により、年々規制の波に飲まれているという。人間味溢れるこの「騒々しき遺産」が消えていくのは、いかにも寂しい限りではないか。
ジェイの友人たちと村巡り
その後、村の知人友人を訪ね歩く「挨拶回り」の巡礼に同行した。田舎特有の濃密な距離感でありながら、日本のような湿っぽい気まずさは微塵もない。
ジェイの友人宅で供された「バレンシアラ?」なる黄色い米料理が、なかなかにうまい。某高級ブランド「バレンシアガ」に似た響きを持つその料理は、赤飯の如き食感とターメリック、そしてシーフードっぽい旨味が渾然一体となった、正体不明かつ不可思議な美味。まさに「ザ・フィリピン料理」と呼ぶに相応しい風格を備えていた。
フィリピンのスパゲッティはいつだって甘い
親族の集い、あるいは若者たちの宴。至る所に顔を出しては、異邦人である私を快く迎え入れてくれる。その度に差し出される祝杯を断る術を私は持たず、気づけば少々、いや、大いに呑みすぎてしまった。 南国の熱気と深い酔いに誘われ、千鳥足で時計を仰ぎ見れば、既に午前四時を回っていた。
新年の夜明けは、いつだって嫌いだ。





