#1 アラサー無職の男、長旅に出る。
2024.08.04

私はアラサーを迎え、円満退社ののち無職の身となった。仕事も恋人も住民票も、愛車さえも手放し、一切の所有を捨て去った「持たざる者」としてオーストラリアの土を踏んだ。
日本にいた頃は、何一つ不自由なく日々を過ごし、仕事にもそれなりに楽しくやっていた。だが、それら全てを手放してまでこの異邦の地に身を寄せた理由は、ただひとつ。幼少の頃から思いを馳せた『世界一周の旅』を実現する礎を築くためだ。その一手段としてワーキングホリデーなる便利な梯子を活用し英語力、資金力を蓄える期間、要は準備期間である。
重積も責任感もないこの感覚が、これほどまでに清々しく、心を軽やかに解き放つものだとは、思いも寄らなかった。
アラサーの男が、今さら「ワーホリ」などと称して働きながら旅に身を投じる姿は、世間から見れば愚か者の極みと嘲笑の的だろう。後ろ指をさされ、冷淡な視線に晒されるのも必定だ。だが、失うものなど何一つ残さぬ私にとって、そんな世評は涼風の如く吹き抜けるだけのこと。履歴書に空白がどれほど広がろうがどうでもよいことなのだ。ただただ、夢を諦めきれなかった。そんな悪あがきとも取れる執念が、私をここへ導いた。
地獄のファーム生活のはじまり

世はまさに資本主義。金がなければなにもできない。とりあえずお金と延長ビザを得るためファームジョブの世界へ身を投じた。
運よくハウスメイトの紹介でバナナファームでの仕事を得るに至った。まだ一週間しか働いていないがすでに筋肉痛で動けない。
私が汗を流すこのファームは、聞くところによれば「優良」と呼ばれる類らしい。時給は29豪ドル、1日に10時間、額に汗して稼ぐ仕組みだ。しかも3ヶ月ごとに1ドルずつ上がるという、まるで餌をちらつかせるような甘い響き。だが、肉体労働など縁遠かった私にとって、この仕事は想像の2倍、いやそれ以上の苛酷さだ。泥だらけになった部活帰りのあの懐かしい疲労感が、全身を郷愁へと誘う。よもやおっさんと化した私が3ヶ月もこれを続けるなど、正気の沙汰かと自問するが、セカンドビザという黄金の鍵を手に入れるには、もはや他に道はない。労働力をビザという釣り針で吊るすこの制度、なんともえげつない仕掛けだ。敗戦国の末裔として、この身をもってその余波を味わうとは、歴史の皮肉もここに極まれり、である。